天野浩成さん年表

天野さんが雑誌インタビューやイベント等で話してくださっているいろいろなことを、年代順にまとめてみました。
よくこれだけ率直にお話してくれました、というほどのさまざまなエピソードに、天野さんの人間劇な魅力、にじみでてます!






■ 誕生〜幼稚園 ■

* 0歳 *  1978年4月9日、誕生。
出身地は愛知県名古屋市でも、生まれた場所は岐阜県とのこと。(セラミュ99年1月イベントでのおこたえ。)

* 誕生後 *  赤ちゃんモデルとして“初仕事”。(『月刊 Audition』 2002年6月号)

* 3歳 *  初スノーボード?(『JUNON』 1997年10月号)
(『BLENDA』 2000年7月号によると、小5のときにボードを買ってスノーボードを始めたとのこと。)

* 幼稚園 *  初めて女の子を意識する。
幼稚園の同じ組にお母さんがとっても気に入った女の子がいて、お母さんが「大きくなったらこのコのお嫁さんになってね」とその女の子に話しかけるのにマインドコントロールを受けて(?)その子のことが気になるように。(『ポポロ』 1997年6月号)
ただし、2002年5月の時点では“なんで好きだったのか、理由は全然覚えてないんですよ。たぶんその頃は、誰かを好きって宣言するのが流行っていたのかもしれないですね。”とのこと(笑)。相手はショートカットのかわいい子。【First Love 公式サイト:天野さんコラム】、『Wink Up』 2002年6月号)




■ 小学生 ■

* 小さい頃 *  正義感の強い子供。
「ちょっと普通のコと違ったかもしれないので、普通のオトナから観たら扱いにくいと思ったかも」とのこと。(『BLENDA』 2002年7月号)

* 小学5年生 *  モデルの仕事を始める。
その当時どうしてもほしかったものを買うため、仕出屋をやっている友達のお母さんに働かせてくださいとお願いしたところ、小学生を働かせることはできない、モデルなら問題ないのでは、と言われ、その日のうちにモデル事務所に行く。(『popteen』 2002年6月号)
世の中に影響を与える存在になって地球規模で世界に貢献したい、という気持ちがあって、そのためにはまず世に知られた存在にならなくては、と思って、まずは地元でモデル、そして同じ“人に見てもらう仕事”俳優への道へ。(『S Cawaii!』 2002年6月号)

* 小学5年生 *  初恋。
ショートカットのよく似合う深津絵里さん似の、学級委員に選ばれるぐらい頭がよくてマジメな子(みんなの憧れ的存在)にときめいたけれど、ヤンチャ坊主だったので口もきいてもらえず。(天野さん御自身も彼女の前では緊張で顔を上げられない状態。)(『ポポロ』 1997年6月号)
バレンタインのチョコも、グループの中で自分だけ貰えなかったりと、“人を好きになることで傷付いたり、苦しんだりするような恋”に。【First Love 公式サイト:天野さんコラム】、『Wink Up』 2002年6月号)
仲が良かった上級生に相談したら、無断で天野さんの名前で相手に手紙を書いて渡してしまい、それでも自分の気持ちを伝えたことには変わりはないから、と返事を聞きに行ったらダメで…という悲しい幕の閉じ方に。(『JUNON』 2002年7月号)

* 小学校5年生 *  スノーボードを始める。
家の近所のサーフショップで板を買って始め、3級を取得。かなり真剣に取り組み、大会にも出場。(『BLENDA』 2000年7月号)

* 小学生時 *  手話に関心をもつ。(『Wink Up』 2000年2月号)

* 小さい頃 *  小さいころは剣道少年で、東海3県3位になったことも。(『Wink Up』 2000年2月号)




■ 中学生 ■

* 中学生時 *  友達から手話を教わる。
現在では、大切なコミュニケーションの手段として、文法やニュアンスにこだわるほど。

* 中学生の頃まで *  中学生の頃までサッカー少年。(『TV LIFE』 2002年5/25→6/7月号)
  
* 15歳頃 *  俳優を志す。
モデルはやはり服が中心、誰でもいいという立場はいやだ、という気持ちから、もっと自分を出せる俳優の道になりたいと思うように。




■ 上京、俳優としてのスタート ■

* 16歳 *  家を出て自立したい、という気持ちから、俳優を目指して上京。
知人に事務所を紹介してもらい、ひとり暮らしを始める。
最初の頃は、高校に通いながら、生活のためにアルバイトの日々。(『JUNON』 2002年7月号)
建設現場での肉体労働をほとんど毎日といった厳しいものを含め(『an』 1999年12月2日号&12月6日号)、トラックの配送助手、居酒屋(年をごまかして…)と、“栄養失調で病院に運ばれたら、点滴代がものすごくかかるので、貧乏でも飯だけは食べよう!”という教訓を得るようなハードなアルバイト生活をしながら、デビューを目指す。(『POTATO』 1999年11月号)

* 1995年10月24日 *  朝の連続テレビ小説『走らんか!』でデビュー。
  
* 1997年1月〜3月 *  連続ドラマ『名探偵保健室のオバさん』に出演。連ドラ初レギュラー。

* 1999年1月15日 *  成人の日。当日もお仕事。
(ミュージカル『美少女戦士セーラームーン』ファン感謝イベントで、初舞台。本公演の初舞台は同年3月19日)

* 20歳を過ぎて *  恋愛に対する考え方が変わってきて、強引なところがあったタイプから、相手のことを思いやるように。役者は自分ではない他人を演じる役づくりで、他人を理解しなければならないことが影響しての変化、と御本人は分析。(『S Cawaii!』 2002年6月号)

* 2000年4月24日 *  渡辺プロダクションでの最後の仕事『弁護士高見沢響子3』放映。




■ フリー時代 ■

* 2000年3月31日 *  渡辺プロダクションを離れる。
“自分の人生について真剣に考えようと思って”活動を休止、一度地元に。
スペインなどで海外生活を送った後、しばらく芸能関係の仕事をしている母親のアシスタントなどをする。
自分と正面から向き合った結果、「やはり表舞台にいたい」と痛感、俳優という仕事をやっていこうという結論に。
『中日スポーツ』2002年8月3日『東京中日スポーツ』同記事、『月刊 Audition』 2002年6月号)

* 2000年12月7日 *  『本気!20』クランクアップ。(村田忍監督公式サイトBBS情報)
渡辺プロダクション所属時代からの『本気!』シリーズについては、会社を離れてからも、2000年6月9日〜7月2日(『17&18』)、2000年11月15日〜12月7日(『19&20』)と撮影に参加。最終出演作品となった『本気!20』のクランクアップで、前の会社時代のお仕事の完了。

* 御実家で *  趣味の陶芸をはじめる。
実家から瀬戸が近かったのでちょっと行ってみようと思ったことがきっかけ。 (『TELEPAL』[関東版] 2002年 4/20→5/12号、【INTERNET TELEPAL[インタビュー]:face[057]天野浩成】




■ アクシヴ所属 ■

* 2001年10月 *  現在の所属事務所・アクシヴに所属が決まる。
アクシヴ御担当コメントの天野さん所属の決め手は“芝居に対して真面目で慎重なところ、気が効くなどの彼の人間性の良さ”。(『月刊 Audition』 2002年6月号)

* 2001年12月4日 *  【アクシヴ公式サイト:avex talent book】にてプロフィールページ公開。

* 2002年4月17日 *  連続ドラマ『First Love』レギュラーで新しいスタート。
 






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